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10 年の歩み、1000 コマ達成|小山田様、中国語学習 1000 コマ修了おめでとうございます

小山田先生自 2016 年 3 月 20 日至 2026 年 8 月 8 日期间,十年如一日,风雨无阻,累计学习中文达 1000 小时,成为当之无愧的汉院中文学习佼佼者。作为一路见证小山田先生学习过程的任课老师,我倍感荣幸与钦佩。

  一千课时,从来不是简单的数字,而是日复一日的坚守与沉淀。每周末小山田先生往返于太仓与上海之间,单程通勤两个半小时来汉院学习中文;在课堂上,小山田先生专注、自律更是给每一位授课老师都留下了极为深刻的印象。他怀揣着一份纯粹且坚定的学习理想:能够说出地道自然、贴近中国人表达习惯的中文。为了这个目标,每一次课前预习新课内容,课后整理课堂笔记和复盘巩固所学;遇到疑惑从不回避,主动向老师请教,认真钻研语法细节,听说读写逐项打磨,一步一个脚印,稳步实现中文能力的跃迁。

  除了中文学习以外,小山田先生也和同学们一起积极参加汉院组织的各类文化沙龙和研学活动。甘南的高原风物、长白山的天池、敦煌的丝路戈壁,都留下了他们的足迹。他行走在中国的土地上,在实地见闻中理解文字背后的历史与烟火,以身体力行的方式,读万卷书,行万里路。

  如今的小山田先生,已经从学习拼音开始的“中文小白”成长为身边友人眼中名副其实的 “中国通”。日常生活里,他可以用流畅的中文沟通社交、分享生活感悟;闲暇之时走遍大江南北,沉浸式感受中国不同地域的风土人情;他喜爱华语音乐,穿梭于各地现场聆听演唱会,从动感的音律中感受年轻语言独有的轻快与魔力。学习中文不仅是逐年累月的知识点积累,更是成为他了解中国、结交朋友、拥抱多元文化的桥梁。

  小山田先生和汉院之间的故事,正是汉院办学理念的印证。在汉院,我们始终相信:语言的背后,是文化,是人与人之间的联结。教授中文是汉院最基本的职能,我们更期待汉院能成为所有驻沪外籍人士在上海的第二个家。汉院也希望能够陪伴更多外籍人士减少初到新环境的不安,让大家能安心地融合到中文的环境中生活和工作。

  祝愿大家永葆探索的热情,在求知的道路上收获更多精彩与成长!

可爱美丽的叶老师🌹

小山田様は 2016 年 3 月 20 日から 2026 年 8 月 8 日まで、十年間変わらず、天候にかかわらず学び続け、合計 1000 時間の中国語学習を修了され、漢院における模範的な学習者となられました。小山田様の学習の歩みを間近で見守ってきた担当教師の一人として、大変光栄に思うと同時に深く感銘を受けております。

1000 時間という数字は単なる記録ではなく、日々の弛まぬ努力と積み重ねの証です。毎週末、小山田様は太倉と上海を往復し、片道 2 時間半の通勤を乗り越えて漢院へ中国語を学びに通ってこられました。授業における集中力と自己管理能力は、担当したすべての教師に強い印象を与えています。彼には純粋で揺るぎない学習の目標がありました。それは、中国人らしい自然で流暢な中国語を話せるようになることです。この目標のため、毎回授業前には新しい内容を予習し、授業後にはノートを整理して学んだ事柄を復習・定着させてきました。疑問点があれば遠慮なく教師に質問し、文法の細部まで掘り下げ、聞く・話す・読む・書くの 4 技能を一つずつ磨き上げ、着実に中国語力を飛躍的に高めてこられました。

中国語の学習以外にも、小山田様は仲間の受講生とともに漢院が主催する各種文化サロンや体験学習イベントに積極的に参加されてきました。甘南の高原の風景、長白山の天池、敦煌のシルクロードの砂漠など、各地に足跡を残しています。中国の大地を歩き、現地での体験を通じて言葉の背後にある歴史や市井の暮らしを理解し、まさに「万巻の書を読み、万里の道を行く」を実践されています。

今では、ピンインから学び始めた中国語初心者だった小山田様は、周囲から「中国通」と呼ばれる存在へと成長されました。日常生活では流暢な中国語でコミュニケーションを取り、日々の思いを共有することができます。休暇には中国各地を旅し、地域ごとの風土や文化を深く体感しています。また中国語の音楽を愛好し、各地のライブ会場に足を運び、音楽のリズムから若い言葉が持つ躍動感と魅力を感じ取っています。中国語学習は知識を積み重ねるだけでなく、中国を知り、友人を作り、多様な文化とつながる架け橋となっています。

小山田様と漢院の物語は、漢院の教育理念を体現したものです。漢院では常に、言葉の奥には文化があり、人と人とのつながりが存在すると信じております。中国語を教えることは私たちの基本的な役割ですが、それ以上に、上海に在住する外国人の皆様にとって漢院が第二の故郷のような場所になることを願っています。新しい環境に来た際の不安を和らげ、安心して中国語の環境の中で生活・仕事に溶け込めるよう、これからも多くの外国人の皆様に寄り添ってまいります。

皆様が探究する熱い心を保ち続け、学びの道でより多くの素晴らしい経験と成長を遂げられますようお祈りいたします。

  恭喜小山田先生从 2016 年 3 月 20 日至 2026 年 8 月 8 日在汉院中文学校圆满完成了 1000 个课时的汉语学习。感谢您一路以来的信任与陪伴,千课时是超棒的里程碑,但绝不是学习的句号。在未来的岁月里,愿您继续带着这份热情,在中文的世界里继续闯关升级,越学越得心应手!
  致敬您的努力与热爱。

汉院中文学校


小山田様、2016 年 3 月 20 日から 2026 年 8 月 8 日まで漢院中国語学校において、1000 コマの中国語学習を見事修了されましたこと、おめでとうございます。

これまでのご信頼とご支援に心より感謝申し上げます。1000 コマは素晴らしい節目ではありますが、学習の終わりでは決してありません。これからもその熱意を保ち、中国語の世界でさらに挑戦を続け、ますます自在に中国語を使いこなせますようお祈りいたします。

そのご努力と学習への情熱に敬意を表します。

漢院中国語学校

梦里千回是敦煌 ——日本画家・平山郁夫と敦煌の半世紀にわたる縁

中日文化交流の使者に敬意を込めて
夢に千回巡る敦煌
—— 日本画家・平山郁夫と敦煌との半世紀にわたる縁
彼は日本の画家でありながら、生涯の心血と深い情けを中国西北の敦煌という小さな町に注ぎ込んだ。百数十回にわたって中国を訪れ、玄奘三蔵が西行求法のために辿った道を隅々まで踏破したが、心の拠り所として魂が引き寄せられるのは、やはり敦煌である。この縁は彼の逝去とともに途絶えることなく、敦煌壁画に千年流れ続ける色彩のように、中日両国の画家たちの筆を通じて代々受け継がれている。
平山郁夫(ひらやま いくお、1930—2009)は東京藝術大学第 6 代学長、日中友好協会名誉会長、ユネスコ親善大使を歴任した。中日民間では「現代の玄奘三蔵」と親しまれ、敦煌の地ではその名が世代を超えて記憶され、感謝され続けている。この国境を越えた師弟の縁が、中国の敦煌画家・高山とこの日本の大画家を強く結びつけた。

一、廃墟から生まれた平和を願う青年

1930 年、平山郁夫は広島県瀬戸内海の生口島に生まれた。1945 年 8 月 6 日、わずか 15 歳の彼は広島原爆投下の惨状を目の当たりにした。この災厄の生存者は長年にわたり放射線障害に苦しめられ、一時は白血病と診断されるほどだった。
病魔と闘う日々、美術が絶望の淵から彼を救い上げた。東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、『仏教伝来』で頭角を現し、続いて『入涅槃幻想』『大唐西域壁画』などの大作を発表し、日本を代表する画家の一人となった。しかし、彼の人生の方向性を根本から変えたのは、東に伝わった仏教と、仏法東伝の道であるシルクロードだった。
玄奘の足跡を辿ってシルクロードを旅した時、広大な砂漠の中で彼が見たのは単なる歴史遺跡だけではなく、人類の諸文明が互いに照らし合い、融合し合う温かな姿だった。平和と文明へのこの憧憬が、その後数十年にわたる創作と行動の源となった。

二、一度の邂逅が定めた半世紀の約束

1979 年、平山郁夫は初めて敦煌を訪れた。本物の莫高窟の前に立ち、千年を経ても輝きを失わない壁画を仰ぎ見た時、言葉にできない衝撃を覚えた。敦煌芸術と玄奘の精神に打ち震えた彼は、敦煌を精神の故郷と定め、その後何度も足を運び、最も深い敬意と実際的な保護の尽力をこの地に捧げ続けた。
敦煌文化は長きにわたる多文明の交流融合の結晶であり、中華文明の開放的で包容的な姿を示す証である。平山郁夫は他の誰よりも早く、深くこの真意を理解していた。敦煌を守ることは単なる石窟の保護に留まらず、人類共通の記憶となる歴史の源流を守ることだと、彼は確信していた。
平山郁夫シルクロード美術館所蔵 画中の菩薩は眉を垂れて安らかで静か、衣紋は風になびき色彩は華やかである。この模写作品から読み取れるのは、画家としての確かな画力だけではなく、異国の芸術家が敦煌の美に抱く心からの礼賛である。彼は最も敬虔な筆致で、敦煌の美を自らの絵巻に丁寧に写し取った。

三、千金の約束、砂漠奥の文明を守るために

平山郁夫の敦煌への想いは、ただ言葉で感動を語るだけのものではない。多額の私財と実際の行動をもって、敦煌への約束を果たし続けた。
彼の敦煌保護にまつわる行いは、一つ一つが重みを持って語り継がれている。
  1. 1988 年、日本政府に働きかけ、10 億円の無償援助を実現、「敦煌石窟保護研究陳列センター」を建設
  2. 1989 年、自身の展覧会収入 2 億円を寄付し、「中国敦煌石窟保護研究基金会」の設立を後押し
  3. 1990 年、100 万米ドルを寄付しユネスコ「シルクロード基金」を設立、敦煌学研究を支援
  4. 在任中、東京藝術大学に敦煌芸術を必修科目とし、同大学と敦煌研究院の約 40 年にわたる共同研究・人材育成の連携を実現
また晩年まで、日本政府と中国の文物保護分野における協力を長期的に推進し、敦煌とシルクロード遺産の保護のため奔走し続けた。彼の呼びかけに応え、多くの日本の若者が敦煌を訪れ、学び、研究し、壁画模写に励むようになり、敦煌文化が両国の若い心に平和と友好の種を撒いた。
鳴沙山東麓に雄大に立つ九層楼は、莫高窟の最も目を引くランドマークである。一方、楼蘭はかつてシルクロードの行商人でにぎわった緑のオアシスだったが、今では砂風に語り継がれる廃壁だけが残る。平山郁夫はこうした地をすみずみまで巡り、筆で文明の興廃を記録すると同時に、行動で文明の残り火を絶やさないよう守り続けた。これこそ彼の言う「芸術は長く、人生は短し」に込められた切なる執念である。

四、玄奘の道を辿り、文明の光へ

平山郁夫の生涯は、常に玄奘三蔵の西行を精神的な指針としていた。アフガニスタンのバーミヤン、インドのナーランダ、そして中国の敦煌まで、この唐代の高僧の足跡を何度も歩き、何度も描き続けた。彼はこう語った。「シルクロードは東西の交易路であると同時に、異なる文化が交流を重ねる道である」。
果てしない砂漠の中で、平山郁夫は風景を記録するだけでなく、国境を越えた精神の通路を追い求めていた。彼が残したスケッチブック、デッサン、巨大壁画の下絵は、自身の芸術の苦闘の軌跡であるだけでなく、古きシルクロードに現代の息吹と温もりを与え続けている。
『大唐西域壁画・月夜のナーランダ』下絵は、平山郁夫が奈良薬師寺玄奘三蔵院のために制作した全長 50 メートルの巨大壁画の一節である。ナーランダは玄奘が求法のため学んだ高等学府であり、仏法が東に伝わる重要な中継地でもある。平山郁夫は月夜のナーランダを描くことで中国とインドをつなぐ文明の脈絡を表現した。そして敦煌は、この文明の長き道の最も輝かしい節目なのだ。
「芸術の基準は『新しいか古いか』ではなく、『良いか悪いか』にある」 —— 平山郁夫

五、国境を越えた師弟の縁

平山郁夫と敦煌の縁は、彼一人のものではない。彼は敦煌への深い想いを架け橋とし、中日両国の敦煌を守る画家たちをつなぎ続けた。その中に、中国の敦煌画家・高山がいる。
90 年代、若き敦煌壁画模写者だった高山は、敦煌を視察に訪れた平山郁夫と出会った。当時高山は敦煌研究院美術所で、日々千年の壁画と向き合っていた。平山郁夫は全身全霊で敦煌模写に打ち込む若者に目をかけ、より広い世界へ踏み出すよう励ました。1994 年から 1996 年にかけ、高山は敦煌研究院の公費派遣で東京藝術大学へ渡り、平山郁夫研究室で研鑽を積んだ。
東京での日々、高山は画技を磨き上げるだけでなく、平山郁夫と朝夕を共に過ごす中で、この大師が敦煌に抱く、国境や利害を超えた純粋な守護の心を悟った。数年後、自身の敦煌のアトリエでこの時代を回想する高山は、平山郁夫が彼に贈った六文字の言葉をいつも思い出す。「芸術は長く、人生は短し」。
「芸術は長く、人生は短し」 —— 平山郁夫、高山に贈る
わずか六文字に、平山郁夫の芸術と生命に対する最深の悟り、そして中国の弟子への熱い期待が込められている。高山はこの期待を糧に数十年にわたり守り続け、「敦煌画派」という概念を提唱し、「再創作模写」という手法論を確立。敦煌壁画を文物の複製に留めず現代芸術創作へと昇華させた。また高山美術館を設立し、平山郁夫から受け継いだ敦煌への守護と熱い想いを、敦煌を愛する多くの人々に伝え続けている。
この国境を越えた師弟の縁は、平山郁夫の敦煌との縁を飾る最も美しい追記である。一人の画家が残す最も深い遺産はキャンバスの上だけにあるのではなく、彼の精神に照らされ、さらに他の人々を照らす心の中に息づいていることを、私たちに示してくれる。

六、彼の心は永遠に敦煌に残った

2009 年 12 月 2 日、平山郁夫は東京にて病により逝去。享年 79 歳。生涯に 150 回を超えて中国を訪れ、中国の文物保護と中日友好事業に全身全霊を捧げた。2002 年、中国政府より「文化交流貢献賞」が授与された。これは中国政府が文化交流分野において贈る最高の栄誉であり、中外文化交流に卓越した功績を残した国際友人を称えるための賞である。
生前、彼は「ずっと旅路の上にいる」と語っていた。その通り、広島から敦煌、バーミヤンからナーランダまで、彼は玄奘よりも長い精神の道を歩み続けた。この道に国境はなく、あなたと私の区別もない。ただ一人の画家の敬虔な想い、平和主義者の熱い願いだけがある。
今、敦煌を訪れ、朝の光に浮かぶ九層楼の輪郭を眺め、壁画の菩薩が千年変わらぬ姿を見つめるたび、この東洋の画家の深いまなざしが思い浮かぶ。彼は私たちに教えてくれた。真の文明は交流の中で育ち、真の友好は守り合う中で永遠に続くのだと。
平山郁夫氏、ありがとうございました。敦煌はあなたを記憶し、中国はあなたを記憶し、人類の文明はあなたを記憶する。そしてあなたが自らの手で灯した道は、高山をはじめとする後継者たちによって、代々歩み続けられている。
上海朝陽義塾校長 孫源源
平山郁夫生誕 95 周年に寄せ、心を敦煌に残した日本の大画家に敬意を込めて
本文に掲載する『菩薩像・敦煌石窟 57 窟南壁』『敦煌石窟九層楼』『大唐西域壁画・月夜のナーランダ』下絵『アフガニスタン・玄奘の道』『楼蘭遺跡』の五作品は、いずれも日本・平山郁夫シルクロード美術館公式サイト所蔵品より引用。文化への敬意と公益的な情報発信のみを目的とし、著作権は作者および館に帰属する。 本文の史実は中国新聞網、澎湃新聞、敦煌研究院、平山郁夫シルクロード美術館の公開資料を参考に整理。高山の師弟関係や贈呈の言葉に関する記述は百度百科および公開芸術報道を参照した。記載に不備があればご指摘を賜りたい。

「艺术长,人生短」:芸術は長く、人生は短し
「丝绸之路既是东西贸易之路,也是不同文化相互交流之路」:シルクロードは東西の交易路であると同時に、異なる文化が交流を重ねる道である
文化賞:「文化交流贡献奖」→文化交流貢献賞

グループ代表孫氏の生命教育探求の旅:ゴビ砂漠 108 キロ徒歩行

「108 キロは距離ではない。文明が砂漠に残した目盛りだ。都会の人々が星空のもと、自分の鼓動を感じる瞬間、本当のリスタートが訪れる。」

グループ代表の孫氏は全国各地から集まった教育関係者とともに、第 4 回中国教育者ゴビ砂漠生命探求の旅を完遂しました。総延長約 108 キロに及ぶゴビ砂漠徒歩行と、生命教育をテーマにしたフォーラムが実施されました。

本イベントは中国教育三十人フォーラム、言観教育、教師博覧が共催しています。8 月 6 日に集合し、出征式典が開催。8 月 7 日から 10 日までの 4 日間で徒歩行を実施。ルートは玄奘西行像を起点とし、長沙梁、雷墩子、石階子を経由し、最終的に沙棗園に到着します。8 月 11 日に生命教育イノベーションフォーラム、8 月 12 日午前に生命教育ワークショップが開かれます。主催者はこの新ルートを「地形のガチャ」と呼び、毎日異なる地形と心情が、新たな未知を届けてくれると語っています。

初日

8 月 7 日早朝、玄奘西行像を出発した。初日の距離は「わずか」28 キロに過ぎず、長くは聞こえないが、誰もが認める「手強い最初の試練」だった。ゴビ砂漠の砂利道の凹凸が靴底を通じて足裏に伝わる。最初はかゆさ、やがてしびれ、最後に針で刺されるような痛みへ変わっていく。参加者の中にはこれを「砂利修行」と呼ぶ人もいた。

歩きながら私は考えていた。私たちの生徒たちも、日々この「砂利道」を歩かされているのではないか。統一された教科書、統一された試験、統一された順位付け。その無数の砂利の名前は「模範解答」だ。足裏に水ぶくれや血豆ができる子供もいるのに、「みんな歩いているのに、どうして君はできないのか」と言われる。

しかし教育に、ただ一つの道しかあってはならない。私が勤める朝陽義塾が日本進路に特化した教育を始めた原点は、受験点数によって隅に追いやられた子供たちに、別の道を用意することだった。EJU、日本語塾、芸術進学、帰国子女入試…… 競争から逃れるのではなく、人それぞれの違いを認め、それぞれの足に合う靴を届けることを目指している。

 

第 2 日・第 3 日

8 月 8 日、9 日は行程の中で最も過酷な二日間で、毎日 30 キロを歩いた。長沙梁から雷墩子へ、さらに雷墩子から石階子へと進む。強い日差し、砂嵐、果てしなく続く地平線。人は知らず知らず「機械的な歩行」状態に陥る。足取りは重くなり、呼吸も荒くなる一方、思考だけは異様に澄んでいた。

私は一つの言葉を何度も思い返した。

「子供にはそれぞれ開花の時期があるのに、受験教育は一種類の開花時期だけを認めている」。

ゴビ砂漠は人の出発点を問わず、次の一歩を踏みとどまれるかどうかだけを問う。子供が一時的に遅れを取っても、自分の道を歩ききれないとは限らない。別の道を選んだとしても、遠くを目指すことを諦めたわけではない。

 

第 4 日

8月10日、ラスト20キロ。石階子から沙棗園へ。距離的には最短の一日だったが、意志力が最も試される日だった。体はすでに限界を超え、心の力だけで持ちこたえていた。私はあえて歩調を緩め、遠くの地平線が暗闇から明るみへと変わっていくのを眺めていた。日の出の瞬間、雲は金赤色に染まり、まるで大地がここまで歩き遂げた一人ひとりに拍手を送っているようだった。

ゴールを駆け抜けた時、想像していたような歓喜はなく、静かな確信だけが心に残った。108キロ、私は自らの足で一歩一歩、この道を測り終えた。祝賀式典では、主催者が参加者一人ひとりに「教育者ゴビ砂漠思考マップ」を贈呈してくれた。これは単なる記念品ではなく、歩行中の体験を振り返り、学校に持ち帰るべき方法論として定着させるためのツールだ。


 

108 キロの道程を経て、私は改めて自問した。なぜ私は朝陽義塾という、ありふれた学校とは異なる学び舎を立ち上げたのか。高校入試の点数に一時的に阻まれた子供たち、画一的なレールの中で息苦しさを感じている子供たち。彼らに必要なのは、必ずしも容易な近道ではなく、認められ、受け入れられ、心に火が灯される出発点なのだ。

 

「以行践学,淬炼教育」

 

この 8 文字が、今回の旅で得た最大の収穫である。

チベット巡礼記——野口さん

労働節連休を利用して団体旅行に参加し、西藏(チベット)に行きました。

目的地の拉萨(ラサ)は富士山の標高と同じくらいの場所にあり、高地順応のため、今回は寝台列車にて青海省の西寧からスタート。途中、車窓からの景色を楽しみつつも、海抜4500~5000mあたりでは軽い頭痛や食欲不振となり、持参したお菓子やインスタントラーメンが食べられず、オレンジとりんごでなんとかしのぎ、22時間を経てラサに到着。

ラサでは、天候に恵まれ、青い空と白い雲とのコントラストが美しく、丘の上に建つ紅白の布达拉ポタラ宮)が輝いて見えました。50元札に印刷されているポタラ宮との定番写真を撮り、ポタラ宮内ではチベット仏教の歴史や文化について解説を聞きながらゆっくり回りました。その後は、大昭寺やその他の寺院にも寄り、转经筒(マニ車)を回したり、お祈りの方法を習ったりと、異なる文化・習慣を体験することができました。

チベット2日目には、遠出をして、海抜5000mにある卡若拉冰川(カローラ氷河)まで行き、現地では(タルチョ)を結び、家族の健康を祈願しました。また、羊卓雍(ヤムドク湖)では、空と湖面の青さが美しく、壮観な光景が見られました。帰りの道中では、チベットの一般家庭の家を訪問する機会もあり、酥油茶(バター茶)を飲みながら糌粑(ツァンパ)を食べ、現地の人たちの生活にも一部ふれることができました。

振り返ると、初日の列車が一番大変だったなと思いつつ、結果的に高地順応でき、西寧から始まる行程で、チベット仏教の歴史や文化を知るだけでなく、ラサのゆったりした空気感、綺麗な青空、色彩豊かで厳かな寺院の数々、などなど見聞き体験して、たいへん思い出深い巡礼の旅となりました。

北米現地から届く|漢院学生・田実様と桜井様のリポート

メキシコでの4点零封至福の時を過ごし余韻に後ろ髪引かれながらも聖地ベガスヘ。乾燥した砂漠地帯の真ん中にオアシスのように開けたキラキラタウン。キラキラは金もお金も大好きだ❤️

降り立ったとたんに乾燥を感じる。米国再入国でツレが入国審査から出てこない。後で聞くと指紋センサーが反応しないのだとか。加齢による肌の乾燥、旅の折り返しで疲労の見えた我々の肌から既に潤いは失われていたのだろう。生え際が心配だ。しまいは指紋にジェルを塗られるも指紋取れず結局入国管理官もギブアップで無事アメリカ入国。空港からUberでホテルへ、中華系とおぼしき運転手さん、ここで漢院で真面目に勉強した中国語が生きる❗中国語で話しかけると強面が微笑み返しに変わる。瀋陽出身の方ですでに米国には20年以上在住、当然ベガスの中華街、面飯の情報を仕入れる。でもオススメは888BBQという寿司屋だそうだ。中米日混合な名前の店だ。ベガスには私のようなCGJ❤️ China Grown Japanese が大好きなバカラは少ない。しかし中華街近くのGolden Coast Casino にはバカラがズラリで遊食一石二鳥。やはり言葉は身を助ける。漢院に感謝(こんだけ持ち上げたらキラキラしたもの何かくれないかしらでもホント世界各地で中国語お役にたってます)。英語を話すと15億人、中国語も話せると合計30億人と話せる。

ところでベガスが3泊も有るけど。これまでのマカオ、ソウル仁川の経験から3泊以上のキラキラタウンは我等に失望をもたらして来たことは学習済みだ。ならばまっとうな人間と同じく観光というものをしてみよう10年に一度は土産というのもを買ってみようと言うことで。1泊2日のモニュメント・バレー、グランドキャニオンツアーに参加した。

参加者9人まだまだお肌に潤いのある若者交えなんと全員世界杯を観戦する/した方々ばかり。偶然なのか、いや、サッカーとの組み合わせはほぼ必然なのだろう。ベガスでは話題の球体劇場Sphereも体験し極力賭博場での滞在時間を減らすことで。。。。。。二人組は再びSamurai Blueをまとい、ダラス2へ、ダラス滞在が2度あったので我々はこう呼ぶ。ダラスという言葉の響きに私の年齢の人には「ダラスの熱い日」以外浮かんでこない。スウェーデン戦前の午前、アメリカ35代大統領JF Kennedyが私の生まれた年に暗殺された場所を訪れた。行ってみると日本のユニフォームを着た潤いのある若者も来ていて案外未来は明るいのかも。

JFKが暗殺された路上にはXが描かれている。今も車が行き交うX印はとても地味な印象。派手だと現役道路上だし危ないんだろうな。その晩我々はスウェーデン戦に望む。ホスト国であるアメリカ国歌The Star-Spangled Banner を聞き、フィールドに日本とスウェーデン国旗が拡がる瞬間は鳥肌もの。グランドキャニオンで一緒だった若いカップルが後ろの席という偶然も。彼らとハイタッチできたのは前田大然の1度だけだったが見事ノックアウトステージ進出。結果はご存じと思うが次はブラジル。一方我々二人組はアメリカ南部フレンチテイスト香るルイジアナ州ニューオーリンズへ飛んだ。

【第二期】北米現地から届くワールドカップ速報!漢院学生・田実様と桜井様のリポート

「悪巧み二人組はSamurai Blueを脱ぎ捨てDodger Blue のジャージを纏ってロスDodger Stadiumに飛んだまでは報告したが、すでに⚽日本代表はメキシコでの戦いに望んだのでDodgers後回しで、⚽を先にレポート。二人組はメキシコのLCC、Viva Airobusでロスから🇲🇽モンテレイ入り。実は若干の不安を抱えていた。イラン危機の影響で米国の他社LCCスピリット航空は5月に倒産。予約のあった日本人サポーターは大混乱。我々の便は会社こそ生きていたがフライト減便で昼の便が夜中に変更、到着は朝の4時、嵐の予感。自身かつてダイビング目的でバハ・カリフォルニアへ潜りに行ってから二度目のメキシコ。到着日は公園で行われる韓国対メキシコのパブリックビューイングを観に行った。Samurai ⚽/ Dodger⚾ Blueのジャージを着た悪巧み二人組、ほぼ全面緑のメキシコサポータに埋め尽くされた会場で場違いな出で立ち。しかしながら熱いメキシコサポータに取り囲まれハポンハポン❗とまさに熱烈歓迎。一緒の記念撮影リクエストが限りなく続いた。韓国には悪いが我々もメキシコ啦啦队と化して応援。そして勝ったViva 🇲🇽❗

翌日は午後から雲行きが怪しい雷雨。インフラ脆弱。宿は綺麗な民泊で満足も、たったひとつの問題は民家だけに停電でエアコンと光が無い❗ホスト言わく10年一度の雷雨と停電で復旧の目処立たず、外も暗くなった頃ホストが他へ移るなら100%返金する神提案。メキシコ人優しい❤️日本戦前日のlast minutesということでホテルは安いが光があるのか?きっとホテルは発電設備も有るだろうと賭けに出る。結果夜中になってやっと灯りのあるホテルに入った。安心して電気を消して寝る。翌日試合キックオフは当地の暑さを避けて夜10時、我々は6時頃にはスタジアムで生え際のお手入れを始める。それを見たメキシコ女性たちから私も私もと🇯🇵のPaintingを頼まれる。皆さんキレイな生え際、羨ましい。
 

試合は観ての通りの 4vs0チュニジアには申し訳ないが完全に🇯🇵のホームと化したスタジアム。パチンコ777フィーバー並みに楽しい試合だった。いつまでも余韻に浸りたかったが帰るころにはすでに午前2時を回っていた。メキシコの飯、人、スタジアムの熱気全てが素晴らしく名残惜しかったが二人組は次なる「絶対に負けられない戦い」に望むべくラスベガス💰へと飛んだ。」——田実様

田実様と桜井様がここ数日何を食べたか、先生たちは皆気になっていました!
二人から届いた報告を見てびっくり、やっぱり中華料理を堪能していたそうです。どれだけ中華が恋しいのか伝わってきて、思わず笑ってしまいました。
現地のリアルな情報をシェアしていただき、ありがとうございます。
お疲れさまでした!
悪巧み二人組はSamurai Blueを脱ぎ捨てDodger Blue のジャージを纏ってロスDodger Stadiumに飛んだまでは報告したが、すでに⚽日本代表はメキシコでの戦いに望んだのでDodgers後回しで、⚽を先にレポート。

北米現地から届くワールドカップ速報!漢院学生・田実様と桜井様のリポート

4 年に一度のサッカーの祭典、2026 年米加墨ワールドカップが盛大に開幕しています。史上初の 3 カ国共同開催となった今大会は出場国が 48 チームに拡大され、計 104 試合が熱戦を繰り広げています。日本代表は F 組に組み分けられ、オランダ、チュニジア、スウェーデンと激闘を展開。各グループリーグは予選突破をかけた重要な一戦となり、世界中のサポーターが北米へ観戦に足を運んでいます。
そんな熱い会場に、漢院の学生・田実様と桜井様が現地入りし、生の臨場感あふれる取材リポートを届けてくれます。お二人は現地時間に三日間にわたり、計三試合の熱戦を現地観戦します。

「我々悪巧み二人組は13日の便でダラス入り、実に30数年ぶりのアメリカ。14日Samurai Blue vs Oranje、しかし現地サポーター達の熱い視線を最も集めたのはファンダイクのテクニックでもイケメンの中村敬斗でも鎌田の1ミリでもないこの一人の白髪日本人の存在であった。

サッカーにはLINE際の魔術師という言葉があるが、彼は生え際の魔術師。そう、我々には絶対に譲れない初戦であり、我々の年齢には絶対に譲れない生え際があるのだ。FIFAランク上位のオランダ、前回大会のようなGiant killingとはならなかったものの執念のドローで生え際を守りきった❗。勝ち点1、さあさあ次の会場へメキシコへ行こう。

そして悪巧みふたり組は中5日のインターバルを利用してロサンゼルス、ドジャースタジアムへと飛んだ🎵

——田実様

可愛らしい小エピソード

田実様は過去に上海へ研修に訪れた際、交流を目的に南京西路の 1 泊 80 元のユースホステルに宿泊し、各地の若者と交流していました。
食事に関しては劉先生のおすすめを聞き、新疆料理のラム肉串と蘭州牛肉ラーメンを味わおうと計画しています。しかし日本人らしい独特なルーティンは変わらず、遠方の店へ先にラム肉串を食べに行き、その後学校近くへ戻ってラーメンを食すというこだわりっぷり。独特な順番がなんとも微笑ましいです。

サッカーに野球まで!二重の楽しみが待っている

今回の北米旅行はなんと、田実様が幸運にも F 組全試合の観戦チケットを抽選で当選したことがきっかけ。このために一から行程を組んで渡米しました。
熱いサッカー観戦だけではなく、お二人は大谷翔平選手の野球試合も現地で観戦する予定です。サッカーと野球、二大スポーツの現地レポートを順次公開予定です。
どうぞお楽しみに!

校内でもワールドカップ熱が沸騰中!

遠く北米で熱戦が繰り広げられる一方、校内でもワールドカップの熱気が広がっています。随時試合の生放送が行われ、休み時間や空き時間には学生たちが集まって試合を観戦し。遠くの会場の熱気を校内でも感じられ、スポーツの祭典ならではのワクワク感に包まれています。

漢院大人気グループレッスンのご紹介

HSKK上級クラス

担当講師:李講師

開講時間:毎週日曜日16:00‐18:00

受講料金:3,500元/10回(1回100分間)、回数券制

クラス紹介:

HSKK高級授業は簡単なHSKK聴力受験訓練だけでなく、基本的な受験技術を教えて繰り返し練習した上で、点から面まで発音、多音字、変調、停頓、アクセント、軽声から、文法構造を解釈し、重要文句を暗記させ、短文フレーズや、短文構造などの方面から繰り返し訓練し、中国語表現の基礎を築いた。朗読と暗記の練習を繰り返し、語感を養う。

また毎回の授業後の宿題も面白く、生徒の受講状況に合わせてカスタマイズし、授業のタイプは多様である。このクラスに参加すると、毎回異なる体験と収穫があり、生徒たちが収穫したのは模擬試験の練習だけでなく、中国語の基礎を身につけ、時には流行語の理解、さらにはnext levelの向上でもある。

受講者の声:

国森さん:

特に听后复述(録音を聞いて復唱する)については、理解できたストーリを自分の言葉で表現する際により適切な表現方法を先生から丁寧に教えてもらえる点が気に入っています。

渡边さん:

会話のみでは中国人と間違えられる事の多い私ですが、中国語の本が読めない事が悩みでした。

hskk高级课に参加し、新単語は勿論、知っている漢字の含む意味幅を新たに知り、毎回2時間がアッという間に過ぎます。宿題の「文章を読み書き暗記」を繰り返す徹底作業により、文章理解度が向上しており高级课の効果を実感しています。

HSKK中級クラス

担当講師:劉講師

開講時間:毎週日曜日16:00‐18:00

受講料金:3,500元/10回(1回100分間)、回数券制

クラス紹介:

このクラスはHSKK試験の問題型から、生徒に詳細な解答スキルと試験策略を提供し、現場模擬現場試験や真題を練習することによって、生徒に余裕を持って試験場に入るのを望んでいる。また、このコースには現在の流行語やホットニュースが含まれており、言語を学ぶだけでなく中国文化を理解することができ、学習がより面白くなる。

受講者の声:

久保本さん:

中級試験の中でも独学での上達が難しい描写問題や課題回答のポイントが学べるのが助かっています。グループレッスンなので生徒同士の交流や、他の生徒の回答を聞いて参考になるなど切磋琢磨していい刺激になります。

村野さん:

HSKK中級の授業を受けるには、それに必要な水準はありませんでした。特に答案問題演習では、中国語を上達したいという気持ちさえあれば、先生が生徒から潜在能力を引き出してくれて、説明を組み立てることが楽しいと思えるようになりました。

 

中国文化グループレッスン

担当講師:帥講師

開講時間:毎週2回限定!土曜日13:30‐15:00

受講料金:漢院(hanyuan@jicsh.com)までまたは直接先生までご連絡ください。

ぜひこの機会にご参加ください!

2028オリンピック予選シリーズ | 上海西岸に正式に落地

一、大会概要

2028 年ロサンゼルスオリンピック関連の重要イベントとして、「オリンピック予選シリーズ」が上海で開催されることが正式に決定しました。本イベントは、東京、モントリオール、オーランドの大会と並ぶ、世界的に注目される「オリンピック前哨戦」であり、全球で僅か 4 か所に設置される貴重な予選イベントです。

二、開催詳細

開催期間:2028 年、具体的には 5 月の複数の営業日(詳細は後日通知)

開催場所:上海市徐匯区西岸エリア(臨江沿い、環境の良い芸術的エリア)

核心内容:国際的なスポーツ競技、文化交流イベントを融合し、世界からの参加者を迎えます。

三、競技プログラム

本次大会では、多くの人気スポーツ競技が実施され、主に以下の 6 種類を含みます:

  • フリースタイル BMX(フリースタイル自転車競技)

  • クライミング(岩登り競技)

  • スケートボード(スケート競技)

  • フラッグフットボール(フラッグフットボール競技)

  • 3 対 3 バスケットボール(3 人制バスケットボール競技)

  • ビーチバレー(ビーチバレーボール競技)

各競技は国際基準に基づいて実施され、トップアスリートたちの熱い対戦が展開されます。

四、開催地の選定

環境の優位性:都心の喧騒を離れ、臨江の静かな環境にあり、大規模国際イベントに最適です。

施設の完備:イベント運営に必要な施設が整っており、参加者や関係者の利便性を最大化します。

文化的な魅力:西岸エリアは芸術施設が集まり、文化的な雰囲気が豊かで、スポーツと芸術の融合を実現します。

アクセスの利便性:交通が便利で、国内外の参加者が容易に到着できます。

五、西岸エリアの特色

上海西岸エリアは、徐汇区臨江沿いに位置し、以下の特徴を持っています:

自然と人文の融合:臨江の風景に加え、龍美術館などの芸術施設が集まり、自然と文化が調和しています。

レジャーの宝庫:散歩、サイクリング、芸術展など、多様なレジャー活动を提供し、都市のスローライフを体験できます。

国際的な認知度:国内外からの注目を集める文化・レジャーエリアで、国際的なイベントの開催に適しています。

本次大会は、上海の国際的なイメージを高めると同時に、西岸エリアの文化・スポーツの魅力を世界に伝えます。スポーツの熱意と芸術の温かさを融合し、参加者に独特な体験を提供することを目指しています。

今後も、当該エリアを活用し、更多の国際的なスポーツ・文化イベントを誘致し、都市の発展に貢献していきます。

竹内亮監督 2026 最新ドキュメンタリー|76歳沖縄出身照屋慶子さん、北極圏を渡り果て上海へ辿り着いた旅の物語

竹内亮監督は 1978 年千葉県生まれの日本出身ドキュメンタリー監督です。2013 年より中国・南京に定住し、映像制作会社を設立しました。NHK や東京テレビでの制作経歴を持ち、『長江天地大紀行』『私がここに住む理由』『久しぶり、武漢』『再会長江』など数々の名作を手がけ、異国で暮らす人々の日常をカメラで記録し、中日の民間文化交流に尽力し、蘭花賞友好使者賞を受賞しています。
今回は当グループの朝陽義塾を訪ね、照屋慶子さんの物語を取材しました。
ビザの有効期間が残り半年となった照屋慶子さんは、「法律に基づいて中国に残り、この地で余生を過ごしたい」と本心を語ります。
竹内亮監督が手がける人気シリーズ『私がここに住む理由』2026 年新作が公開となり、76 歳照屋慶子さんの半生を追ったドキュメンタリーが話題を呼んでいます。竹内亮監督が当グループの朝陽義塾を訪ね、照屋慶子おばあさんの物語を届けてくださいました。
照屋さんが暮らす田舎では、来日留学を目指す子どもたちにとって頼れる強力なサポーターでもあります。彼女の指導を受けた子供たちは、来日後の日本での生活にスムーズに適応できるようになっています。
念願の理想的な日々を手に入れた照屋さんですが、現在ビザの期限問題に直面しています。残る猶予はあと半年。大好きな中国の田舎でこのまま暮らし続けられるのでしょうか。

~竹内亮監督の小紅書アカウント:「竹内亮导演」~

『私がここに住む理由』第 457 話 照屋おばあさん(前編)

https://www.xiaohongshu.com/explore/6a21473e0000000038034770?xsec_token=ABX2HCnFG0LD-vzT4pZqJVzbI_7Nhmpj88iUiaeVq4-xc=&xsec_source=pc_user

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『私がここに住む理由』第 457 話 照屋おばあさん(後編

https://www.xiaohongshu.com/explore/6a2299a00000000036001d3b?xsec_token=ABsB0j8q9qM4c73q9Pias3_Px7WQcTmFGnrojbm3KLS7E=&xsec_source=pc_user

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異国の土地で出会った人々との縁、暮らす中で積み重なった小さな幸せ。国境や年齢を超え、上海で新たな人生を紡ぐ照屋さんの物語には、数多くの感動的なエピソードが秘められています…

6 月 5 日、風を切り、陽だまりを追って走り抜いた朝陽義塾の生徒たち。汗と努力を糧に、淀山湖校長杯 78km サイクリングレースを見事完走しました。全行程は 78 キロに及び、風光明媚な淀山湖環湖コースを巡るルートで実施、十数名の生徒と引率教員が参加し、イベント全編はライブ配信されました。保護者や在校関係者はオンラインで生徒の奮闘ぶりを見守り、応援の声が選手の力となりました。全員が完走後、孫校長をはじめ国際部教職員がゴール地点で出迎えました。校長は講評にて、「78 キロのサイクリングは単なるスポーツ行事ではなく、人材育成を実践する体験型授業である」と述べました。上り坂や猛暑など困難を乗り越える過程を通じ、生徒は継続力・自制心・協調性を学び、地道な積み重ねが成長につながることを実感しました。